哀しみの演歌と絶望のメタルを聴き漁るブログ

演歌とメタルをとおして、人生の理不尽さをみつめるブログ。

ヘヴィ・メタル

いわゆる「デス声」の限界

投稿日:2017年8月31日 更新日:

メタル界で、いわゆる「デス声」「デスボイス」などと呼ばれる、

「ゔヺヺヺヺおおおおお・・・・」みたいな、

ダミ声というか唸り声というか、そういう歌唱法が

「ふつうによくあるもの」になって久しいですね。

今回はこの「デス声」について思うことを書いてみます。

激情を表現するにはかかせないものになったが・・・

「デス声」の元祖には諸説ありますけど、

私の体験として、初めて「コイツはスゲエ・・・」と思ったのは、

EXODUSの故ポール・バーロフでしょうか。

もしくはDEATHの故チャック・シュルディナーか。

ポールの、怪獣がわめいているようにしか聴こえない声は、

カッコいいというよりもその独自性、いままでに聴いたこともないという意味でヤラれました。

その後、OBITUARYのジョン・ターディとか、もっとすごいのが次々に出てくるわけですが、

90年代初頭ころまでは、デス声を使うバンドもいまほど多くなく、

YOU TUBEで「デス声の出し方」みたいな講座があるような今と違って、

あくまでもアンダーグラウンドな、特殊な存在でしたね。

 

しかし今は、誰も彼もがこれをやっている。

低音でうがいをするような声とか、

アヒルもたいな甲高い声までいろいろです。

 

もういいよ、いいかげんに飽き飽きしたよ・・・

というふうに感じるファンはいないんでしょうか。

どう考えても表現力に限界がある

私の好きなスウェーデンのメロディック・デスメタルバンド、

AMON AMARTHは、ヒロイックで力強いメロディの演奏をバックに、

全編ひたすらデス声でがなるヴォーカルがのっかるスタイル。

初期のころはひたすらやかましい、ヴォーカルも含むすべての楽器が

混然一体となって押しまくるサウンドだったのですが、

近作ではどんどんメロディックさを増して、

それとともに各楽器の分離のはっきりした、整然としたサウンドへと変化しています。

 

で、目下の最新作「JOMSVIKING」とかを聴くと、

アグレッシヴで速い曲では、ヨハン・ヘッグのデス声が

いつも通りのカッコよさを発揮しているんですけど、

メロディアスな曲はあまりにもメロディアスで

どうもデス声だと「物足りない」気がします。

ああ、この曲をクリーンボイスで上手いヴォーカリストが唄ったら

カッコいいだろうなあ・・・という感じの曲が多い

(IRON MAIDENっぽい「At Dawn's First Light」とか)。


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そう感じているのかいないのか、ゲストにドロ・ペッシュ(DORO)を呼んだりして

(前作ではCANDLEMASSにいたメサイア・マコーリンがゲスト参加)ますね。

ドロとふたりで唄ってる曲(「A Dream That Cannnot Be」)を聴くと、

なんかモロにデス声の表現力の限界を感じるんですよね。

この曲ではドロもちょっとうなっているんですけど、

こういうふうに「ここぞ」というときだけダミ声でうなったほうが効果的だと思うんです。

どう考えても、デス声一辺倒というのは、それでいいバンド、ていうかそれがいいバンド

(CANNIBAL CORPSEとか、MORBID ANGELとか・・)

はそれでいいけれども、メロディに色気を出すのなら限界があると思います。

 

なかには、ヴォーカルのメロディが書けないからデス声でごまかしてるんじゃないか

としか思えないバンドもたくさんいますね。

 

とにかく、デス声が「スゲエ!」と言われ、差別化になった時代はもうとっくに終わっている

のですから、とにかく減ってほしいと思ってます。

デス声一辺倒は嫌、といっても、いわゆるメタルコアみたいなのはもっと嫌なんですけどね。

要は安易な使い方をしないほうがいいのでは、ということが言いたいのです。

このへんが、メタル人気が低迷しっぱなしの原因のひとつではないでしょうか。

このテーマについてはまた書いてみたいと思います。

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