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いまこそ死刑制度についての国民的な議論を喚起すべきでは?

15歳の女子中学生が面識のない親子ふたりを東京渋谷の路上で刺し、殺人未遂で逮捕されたという衝撃的なニュースをみました。

で、逮捕された少女は動機として「死刑になりたかった」とか、「母と弟を殺したかったから、その練習」ということを供述しているらしい。

産経新聞 渋谷母子刺傷 容疑の少女「人通りの少ないところを探した」

本人はまだ15歳、しかも今は精神的な動揺もあるかもしれないし、この供述がどれだけ信用できるか、口からデマカセのテキトーなこと言ってるだけかもしれないからなんとも言えない。だからこの件についてなんだかんだ書くのはまだ早いんだけれども、あまりに恐ろしい事件。

凶悪な少年犯罪が起こるたびに、少年法を見直して犯行時少年だったとしても成年と同じように厳罰を科せ、という流れが強化されてきてはいた。しかしまさに厳罰を自ら望んで犯罪を犯す子どもが現れるとは、驚愕するしかない。

「死刑になりたいから」と言って殺人をしようとする人間はこれまでにもいましたが、それを言ってるのがまだ15歳の子どもっていうのがあらゆる意味で衝撃的。犯行時15歳ではどうあがいても死刑にはならないわけで(家庭裁判所から逆送されて刑事裁判で死刑判決相当と判断されても犯行時17歳以下なら無期懲役に減刑される)、そのへんはいかにも子どもらしい浅はかさ。しかし、「死刑」というものに関しては、この少女と同じ程度のことしか理解してない国民が大半なんじゃないですかね。

思うにその理解不足こそが、いつまで経っても死刑をやめられない状況が続くことにつながっているんだろうなあ、と。

今回は音楽の話はないですが、「道を歩いてたらいきなり刺される、しかも子どもに」っていう事件が「死刑になりたかったから」という(?)動機で起こされる、っていうのは全国民にとってとても恐ろしいことで、これに関して思うことを書いておくのもいいのかな、ということで。

保身のためにはウソをつきまくる奴らが「正義の実現」とかぬかすのをみると吐き気がする

先日は「秋葉原通り魔事件」の加藤智大死刑囚の刑が執行され話題になりましたね。

その死刑執行に関する記者との質疑のなかで、当時の法務大臣は以下のように発言していたらしい。

【記者】
改めて、死刑制度に様々な意見がある中で、一般に死刑制度を続けていくことの目的と意義について、大臣のお考えをお願いします。

【大臣】
死刑制度の存廃は、我が国の刑事司法制度の根幹に関わる重要な問題です。国民世論に十分配慮しつつ、社会における正義の実現など、種々の観点から慎重に検討すべき問題です。先ほども申しましたが、国民世論の多数が、極めて悪質、凶悪な犯罪については、死刑もやむを得ないと考えており、多数の者に対する殺人や強盗殺人など、凶悪犯罪がいまだ後を絶たない状況等に鑑みますと、その罪責が著しく重大な凶悪犯罪を犯した者に対しては、死刑を科することもやむを得ないのであり、死刑を廃止することは適当ではないと考えています。

引用元→法務省 法務大臣臨時記者会見の概要 令和4年7月26日(火)

「正義の実現」ねえ。旧統一教会問題では政治家がひたすら保身のためにウソをつきまくってる姿が晒されてるけど、その姿には「正義」の欠片も感じさせませんけどね。よくもまあそんな言葉が出てくるもんだと感心する。

それに、「国民世論の多数が死刑をやむを得ないと言ってるから、凶悪犯罪には死刑もやむを得ない」という、お前自身の考えはねえのかよ、としか言いようがない中学生並みの発言。なぜ「やむを得ない」のか、それは「国民がそう言ってるから」だ・・・っていうことですよね。これじゃあ永遠に死刑をやめることはできないでしょうね。票のためにならない仕事は絶対にしない奴らですからねえ。それに国民世論が死刑廃止に傾かないようにしてるのはお前ら政治家なのでは?

 

それから、たくさんいる死刑確定者の中でなぜ加藤死刑囚を選んだのか、と訊かれて、以下のように答えている。

【記者】前回の執行からおよそ7か月経っての執行となりました。今回の執行時期の御判断の理由を教えてください。また、執行がされていない状態の未執行の死刑囚が多くいる中で、今回、加藤死刑囚を対象に選ばれた理由を教えてください。

【大臣】
個々の死刑執行の判断に関わる事柄については、お答えを差し控えさせていただきます。
一般論として申し上げますと、死刑執行に関しては、特定の人数を定めて執行しているわけではなく、個々の事案につき、関係記録を十分に精査し、刑の執行停止、再審事由の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に、初めて、死刑執行命令を発することとしています。今回も、同様の慎重な検討を経て、死刑執行命令を発したものです。

 

いつもながらこれも矛盾に満ちた詭弁。「関係記録を十分に精査し・・・・慎重な検討を経て、死刑執行命令を発したものです」っていかにもまじめに仕事してるような言いぐさだけれども、そんな「慎重な検討」が十分にし尽された(はずだ)から死刑が確定してるんだろ。裁判で死刑が確定してるのにそのうえさらに何年も「検討」しなきゃいけないなら裁判っていったいなんのためにやっているんだ。そう考えたら死刑執行は確定順に粛々と行われなければおかしい。そうしなきゃ法の下の平等に反するでしょ。ある死刑囚は何十年もほったらかし、ある死刑囚は速攻で執行。そんな不公平な話があるか(再審請求してるあいだは執行されない、っていうのも前に破られたからその言い訳も通用しない)。その理屈なら、何十年も執行されない死刑囚は「慎重に検討」した結果これでは死刑執行できない・・と判断してるんだろうということになり、ならばすぐに再審を始めなくてはおかしいはずですが、そんな話は聞いたことがない。つまり、あらためて「慎重に判断」なんてことはしてないってことだ。

このへんは前にも書いたけど、結局のところえん罪の可能性がありそうな人とかは先送りしてとくに問題なさそうなのとか国民誰もが彼を憎むような奴から執行して、ちゃんと仕事してますっていうポーズのために使うってことでしょ。日本にかぎらず、死刑ってのはどこまでも公権力の都合のために行われている。

仕事してますっていうドヤ顔で記者会見したいのなら、法律通りに確定から6か月以内に、粛々と執行しなきゃウソ。確定死刑囚が100人もたまってるっていうのは法務大臣と官僚の不作為以外のなにものでもない。

確定順に粛々と執行できない、しないっていうのはつまりそれだけ制度に無理があるからであり、それだけ後ろめたいことがあるからってことでしょう。「6か月以内に執行」ってのはただの訓示規定、などというクソみたいな言い訳をする前に、やることちゃんとやれ。できないなら大臣辞めるか、法律を現実に運用可能なように変えろ。お前らが何十年もなあなあでテキトーに仕事してるから死刑囚が100人以上も溜まってるんだろ!と国民は怒らなければならないはず。

死刑に犯罪抑止力はない、とはっきりしてしまった

と、政治家やら官僚やらが法律通りに死刑に関する仕事をやってない、できないという点だけを考えても現在の死刑制度には問題だらけってのがわかるし、いまの旧統一教会に関する政治家のウソだらけの発言を見ても、「権力者は保身のためには平気でウソをつく」ってのがいいかげんに骨身にしみた国民も多いはずで、そんな奴らが死刑などという究極の刑を自分たちの都合のためにやってる、っていう時点でもはや恐怖でしかない。

日本人は中国で邦人が死刑になったり北朝鮮で高官が粛清されたりすると「これだから人権抑圧全体主義国家はコワい」って感じる人も多いと思うんですけど、日本もたいして変わりはしませんよ。袴田さんみたいな冤罪確実(だから執行しなかったわけでしょ)の人の再審を、おそらくは検察や裁判所の側の保身や意地のために、いまだに認めないくらいですからね。

冤罪といえば、件の通り魔事件、場所はあの「東電OL殺人事件」の現場のすぐそばだったらしいですね。あの有名な冤罪事件。あんな冤罪がどれだけ起これば「国家権力が行う死刑なんてとんでもない」という流れになってくれるのだろう、と悲しくなる。

あの事件ももし死刑判決でもし執行されてたら、と思うととてつもなく恐ろしいけれども、政治家であろうが検察官であろうが裁判官であろうが保身のためにウソをつくこともあれば他人の人生などどうでもいいと考えることもあるってのは数々の冤罪事件をみてもハッキリしちゃってる。

同じ奴らが長く同じ役目にいれば権力は必ず腐敗するのは歴史からいって間違いないことで、だからなにがなんでもたまに政権交代させなきゃならない・・・んですがそれは置いておくとして、とにかくそんな奴らに死刑なんかをやらせてたらおっかなくて安心して生活できやしない。

前にも書きましたが、私は極悪人に死を与えること自体には必ずしも反対しない。秋葉原通り魔事件みたいなののときは逮捕でなくその場で射殺でも致し方なかったでしょう。でも、極悪人に死を与えるのを決めて実行するのが、必ずウソをつく国家権力、ってのが我慢できない。しかし国家権力以外の個人が勝手な判断で仕置き人みたいなことをするのも許されない。すると死刑は廃止するしかない、っていうだけ。

 

それから、死刑が必要、やむを得ない、っていう主張によく出てくる「死刑になると思えば犯罪を思いとどまる」っていう死刑の犯罪抑止力。統計上も「そんな効果はない」って言われてますけど、昨今の「死刑になりたい」凶悪犯たちの言いぐさからも、死刑の犯罪抑止力なんぞ幻想、ってことがはっきりしちゃった感じですね。これについて法務大臣に切り込んでいく立派な記者やジャーナリストはいないのか。

少しでも想像力があればわかると思うんですけど、もはや世の中に絶望して「もう死のう。死ぬ前に誰かに八つ当たりして恨みを晴らそう」などとマジで考える人間が「死刑が怖いからやめとこ」なんて思うはずもない。世の中に未練もなく、死にたいけど自殺するのがイヤ、だから国家に殺してもらおう、っていうだけなんだから。

じっさい、今回の事件の容疑者の少女の「死刑になりたかったから」っていう供述がほんとうのことなら、日本に死刑がなくて、そのことを子どもも含めて全国民が知っていたなら、こんな事件は起こらなかったかもしれないわけですよね。

国は自殺の手伝いなんぞしてくれない、それどころか刑務所に入ったら徹底的に監視されて自殺は許されず、強制的に一生働かされて、トシとってから病気になっても医者にもロクにみせてもらえず苦しんで死ぬことになる・・というふうに理解されていたなら、容疑者の少女は「じゃあ仕方がないひとりで死ぬか」と考えたかもしれない。

まあ「死刑になりたい」っていう心境はふつうの人間には理解できない(私だったら薄汚い国家権力の手で殺されるくらいならなんとかして自殺しようと考えるけれども)から、こんなに単純な話ではないんでしょう。しかし、これだけ「死刑になりたいから人を殺した」という人間が続々と出てきている以上、やはり死刑に犯罪抑止力はないと考えるのが妥当であり、そういう理解不能な精神状態になってしまう人が量産される生きづらい社会そのものこそをなんとかしなくてはならない、ってことなんでしょう。

いずれにしろ今回の件、国民からは「少女だとて厳罰にしろ」という声もあがるでしょうが、本人が「死刑になりたい」というのが本当なら厳罰にしたところであまり意味がないでしょう。この容疑者は絶対に死刑にはならないとしても、「人を殺せば死刑にしてくれる!」と思ってこんなことをする奴がまた出てくるだけ。

 

ともかく、これを機会に、死刑はやめよう、という世論が沸き起こることを期待したい。政治家は票のことしか考えない無能ばかりだからそんな奴らに期待するのは無駄。逆にいえば世論が死刑廃止に傾けば政治家も廃止に動かざるを得ないわけで・・・。

「死刑になりたい」奴の八つ当たり犯罪はもうたくさん。それを防ぐには、「死刑になりたい?凶悪犯罪者を楽に死なせてなるものか」というふうにすることが必要でしょう。

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