ヘヴィ・メタル専門誌「BURRN!」を先日立ち読み。
どんな新譜が出ているのかを知りたいだけだから、本屋さんには申し訳ないけどパラパラっとディスクレビューのページをチェックさせてもらっています。数十秒で終わりますよ。点数もレビューの内容もまったく見ないから。
立ち読みした2021年3月号は聖飢魔Ⅱが表紙でした。
Amazon.co.jp BURRN! (バーン) 2021年 3月号
私が高校生くらいのときに一生懸命読んでいた頃はドメスティックバンドはほとんど扱われていませんでしたが、最近は日本国内のバンドも普通に扱っているらしいことは知っていました。だから特に驚きませんでしたが、ん・・・待てよ、聖飢魔Ⅱ?
聖飢魔Ⅱが表紙?これはほかの国内のバンドと違って非常に珍しい。だって、あの有名な、「0点事件」(私は「事件」というほどのものではないと思っていますが)という因縁があるわけで、いつのまに仲直りしたんだろう・・・
と思ってよく調べてみると、なんとBURRN!編集長が公式に「謝罪」をして「和解」したんだそうな。
→聖飢魔II デビュー作に0点を付けたB!誌との因縁に終止符、編集長が正式に謝罪
えぇ・・・そうなんだ。知りませんでした。
まあBURRN!も聖飢魔Ⅱも、私にとっては今は興味の対象ではないのでどうでもいいんですけど、これは現在の同誌のディスク・レビューに対しての姿勢というか立ち位置というか、そういったものを示しているような気がします。
0点だったが、曲は良かった
BURRN!が聖飢魔Ⅱのデビュー盤「聖飢魔Ⅱ~悪魔が来たりてヘヴィメタる」(1985年)について、ディスクレビューで「0点」をつけた・・というのはオールドメタルファンには割と知られた話。
私もリアルタイムで読みました。当時の編集長がレビューを書いてて、要は「完全な色物。レーベルの担当者も無礼な奴だし、FxxK off!」みたいな内容で0点だったと記憶。海外の正統派メタルしか認めないというスタンスの人だったから、コミックバンドみたいでとてもシリアスにメタルをやってるようには見えない聖飢魔Ⅱは許せなかったんでしょうかね。
のちの同誌のコラムで、実はこのアルバムで演奏しているのは彼ら自身ではないというのを知ったから0点にした、みたいなことも書いてあったのをみて、ふ~ん、そうなんだ・・・と思ったのを覚えています。
どちらにしろ当時の私はカネがなく、とにかく買って後悔しないカッコいいレコードを求めていましたから、そういうことなら聖飢魔Ⅱは後回しでいいや、と思っちゃって、しばらく聴くことはありませんでした。そして聖飢魔Ⅱは一般レベルでブレイクしちゃったから、なおさら私は聴く気が起きなかった。
しかしずっと後になって聴いてみたら「いやいや、フツーにカッコいいじゃん!」と。べつに他人が演奏してたっていいじゃないか。これが0点っていうのはあんまりだ。
Amazon.co.jp 聖飢魔II~悪魔が来たりてヘヴィメタる
つまりこの「0点」レビューに問題があったとすれば、担当者が無礼だったとかコミックバンドみたいだとか、そんな音楽そのもの以外の部分が気に喰わないからってすべてを否定し「0点」としちゃったところだと思うんですよね。
なので、「音楽と関係ないところでイチャモンをつけてすみませんでした」。ならわかるけど、いろんなところに書いてあることを読むところでは、BURRN編集長は「0点をつけるという無礼なことをしてすみませんでした」と謝ったそうですよ。そして、「正式に謝罪したことにより聖飢魔Ⅱのインタビューが実現した」ということらしい。すると、インタビューをして特集をやりたいから、そのために過去の低得点レビューを謝罪した・・ということなのか?そうだとするなら、これはなんかすごく気持ち悪くないか。
低評価すること自体は別に悪くないでしょ
低得点をつけること自体が「無礼」という認識なの?それとも、いくらなんでも0点はあんまりだ・・・ということ? でもそれなら、BATHORYの「TWILIGHT OF THE GODS」に1点をつけたことも、KREATORの「FLAG OF HATE」に4点をつけたのも謝ってほしいものです。D.R.I.にも1点とかつけただろ。BLASPHEMYに10点をつけたのは・・まあいっか。
そこまでヒドイ点数じゃなくても、レビュアーがそういうタイプを嫌いもしくは知らない、というだけで不当に低い点数をつけられたものなんかは、とくに80年代のスラッシュ系にはいくらでもありましたよね。DARK ANGELの「LEAVE SCARS」に「メロディがなくただウルサイだけ」と65点をつけたりとか、DEATHの「LEPROSY」に43点とか。これも謝れ。超カッコいいだろ。これらがその点数なら今出てきてんのはほとんど全部0点が妥当じゃねえの。
とはいえ、上にあげたようなエクストリームなバンドのサウンドは、今となってはフツーになっているとしても当時としてはあまりに極端だったわけで、それを受け入れられない、という人が多くいたのも事実。だから今の感覚で「不当」と感じられたとしても、それを批判するのは間違いなわけです。
前編集長が聖飢魔Ⅱを否定したのもそれと同じじゃないの。正統派メタルが好きな人には聖飢魔Ⅱのコミックバンド臭が我慢できなかったんでしょ。DARK ANGELを聴いて「ただウルサイだけ」だから認められない、というのと同じレベルで、「こんなもんはカス」と思っちゃっただけでしょ。
低評価を謝罪なんて、そんなことしてたらキリがないでしょ。時代の変遷とともにその評価が変わるバンドや作品なんかはいくらでもあるんだから、あとになって低評価を謝罪するなんてのはこの上なく不毛なことじゃないでしょうか。
偏見によってねじ曲がったレビューは確かに良くはないが・・・それは程度の差こそあれ避けられない
問題があるとすれば低得点そのものでなく、偏見によって不当な低得点にしちゃったことでしょ。そこをちゃんと説明しないと、ただ単にインタビューに応じてほしいから謝罪したんだな、と思われ、「この雑誌はカネのため、取材のために提灯レビューを書くんだろうな」と思われる。ていうか実際そうなんでしょうね。
偏見によって音楽とカンケーないところをみて低評価をつけたりすることなんて、BURRN!では前編集長以外の人もみんなやってたでしょ。現編集長はBATHORYの名盤「BLOOD FIRE DEATH」のレビューで、「スラッシュ・メタルをひとりでやったとしてもあまり誉められないと思う」「ダブル・ジャケットを開くと、裸体で剣を振り回している長髪男が森の中に3人、という奇怪な状況が僕の網膜を刺激したのであった」などと、音楽と無関係なところを完全にバカにして63点をつけていたが、これだって前編集長の聖飢魔Ⅱに対する偏見レビューと同じようなもんでしょ。しかも「なるほどVENOMを好きなのはわかりました」とか、ほんとにちゃんと聴いたのか?と疑っちゃうような文言も。このアルバムに関しては全然VENOMっぽくないだろ。 いまや同アルバムはヴァイキングメタルの聖典扱いされる名盤なわけで、前編集長と同じように偏見だけで低得点をつけたことをクォーソンの墓前で謝ってほしいね!
しかし、音楽を聴いてそれを評価するなんてことを完璧に客観的にやることは不可能なのであり、私がDEATHの「LEPROSY」なら90点だろ、と主張したとしてもそれを「43点」という人もいるのは当たり前。レビューに多少の偏見が混じり込んでくることも避けられない。だいたい、メタル好きな人なんてのは頑固で偏った人だからメタルなんかを好きになるわけでしょ。偏見レビューになるのはある程度仕方がない、
だから聖飢魔Ⅱをメタルと認められなかった人がそれに0点をつけようが、BATHORYをただのVENOMのフォロワーとしか感じることができないような人がそのアルバムに不当な低得点をつけようが、それはそれで仕方がないし、だから読んでて面白かったのに。謝罪するなんてなんと愚かなことを。
と私は「0点」については、たしかに音楽以外の部分だけで0点をつけたことは問題があったかもしれないけど、そんなもんは他のレビュアーも同じようなことしてたし、偏見や個人の好みが混じってるから面白いんであって、読者がそこを読み取って判断できるように賢くなればいい、というだけのことなんじゃないかと考えています。実際「0点」という点数だったけど作品としては悪くなかったからちゃんと売れたんだから。ファンは雑誌のレビューを無条件に鵜呑みにするような人間ばっかりじゃない。一部のミュージシャンには低評価をされると売れないって怒る人もいるらしいが、そんな程度のことで売れなくなるようなら結局その作品はそんなに大したことなかったっていうことじゃないの。
やはり最大の問題は、「インタビューをとるために低評価を謝罪した」ってところじゃないですかね。じゃあ、ミレ・ペトロッツァが「FLAG OF HATE」に4点をつけられてたことを知って激怒(彼はそんな小さい人間じゃないと思うけど)して「もうBURRN!の取材は受けない」とか言い出したら謝るのか?そうなったら、取材を拒否されたくないと思うような人気バンドの新譜が出たらとりあえず誉めなきゃならないということに。そんなレビューはレビューじゃないでしょ。ただの新譜カタログ。
誰のためにディスクレビューを載せているのか
「低評価しちゃってごめんね。謝るからインタビューさせて」なんてことをやっているようでは、ディスクレビューはいったい誰のためにやっているんだろう、という疑問が持ち上がってくる。
ミュージシャンのご機嫌をとって取材をしやすくするためのものなの? それとも広告主レーベルが売っている作品を誉めて広告主の売り上げに貢献するためのものなの?
昔はそうじゃなかったでしょ。読者がクソみたいな作品にカネを払って「損した!」なんてことにならないように、読者のために書いていたでしょ。前編集長はそれを明確に言っていた記憶がありますが・・・今は違うの?
少なくとも私はそのように感じていましたよ。一部のレビュアーが高得点をつけたものは私も「イイね!」と思うものが多くてすごく助かった。最近のレビューの場合、そのアルバムを聴いてから後追いで見てみたりすると、「このクソアルバムが86点・・・」なんてビックリすることがけっこうあって、ああ、オトナの事情でテキトーなこと書いてるなあ、こういう提灯レビューに騙されて買っちゃう人はかわいそうだなあ・・と思っちゃう。
その意味で、ミュージシャンに媚びたレビューというのは結局読者の不利益にしかならない。ミュージシャンに対して低評価を謝罪したっていうのは、ディスクレビューはミュージシャンや本誌の都合のためにやっていることで、読者の利益なんかは二の次。って宣言したようなものじゃないか。
そう考えると、0点事件を謝罪するべきは読者に対してじゃないか、っていう気がします。実は曲はけっこうカッコいいのに、そこには触れずに乱暴に0点をつけちゃった。私のように「0点なら聴かなくてもいいか・・・」とスルーしちゃった読者も多かったはず。それは読者にとっては不利益でしょ。
ていうかそれより、今のレビューは全部そうだと感じるけど、大したことない作品にテキトーに高得点をつけまくっていることのほうを読者に謝るべきじゃないのか。いったい誰に向けてレビューを載せているのだろう。だからつまらないのに。
と、買ってもいないのにいろいろ文句をたれましたが、大昔は長いこと買っていたから勘弁してもらうとして、「聖飢魔Ⅱに謝罪」したというのを知って、そこまで変わってしまったのか・・と残念に思った次第。「レビューは個々人に好きに書いてもらうので・・・」くらいのことをシレっと言うべきじゃなかったか。忖度だらけのディスク・レビューなど読む価値はなし。雑誌の記名レビューよりもネット上の匿名レビューのほうがまだ参考になる時代になりましたね。