フォークグループ「アリス」のメンバーで、「いい日旅立ち」など数多くの国民的ヒット曲を生み出したことでも知られるシンガーソングライター、谷村新司さんがさる10月8日にお亡くなりになったとのこと。心よりお悔やみ申し上げます。
NHK 谷村新司さん死去 74歳 「冬の稲妻」「昴」など数々のヒット曲
私はアリスや谷村さんの熱心なファンというわけではなかったので、人口に膾炙しているような「代表曲」くらいしか知りませんが、それらの曲についての思い出をふりかえり、追悼記事としたいと思います。
「チャンピオン」のカッコよさにKOされた
私が谷村さんの曲にはじめて触れたのは、言わずと知れたアリスの大ヒット曲「チャンピオン」だったと思います。
この曲が出た1978年当時、私は小学校3年生くらい。同年にはじまったTBSの歌番組「ザ・ベストテン」が好きでいつもみていたのです。
そこで聴いたのが「チャンピオン」。
スピードが増してるライヴ演奏はひたすらクール!これはカッコよすぎるなあ。
音楽のことなどなにもわからないガキの私でも、これにはものすごい衝撃を受けた。思い起こすと、音楽を聴いて「カッコいい」と感動に震え鳥肌がたつ、という体験をしたのはそれが最初だったかもしれない。親にせがんで7インチのシングルレコードを買ってもらったのをおぼえています。それまでテレビで見聞きした「昭和の歌謡曲」とは明らかに違う、アグレッシヴかつ哀愁のあふれるメロディ。歌詞の内容は、トシをとって衰えた「チャンピオン」が若い挑戦者に敗れる、というかなしいもの。
その後中学生になってヘヴィ・メタルのような音楽に魅入られたのは、ひょっとするとこの曲の影響があったのかもしれません。男の戦い、そこにうまれる苦しみや哀しみや栄光をえがくってのはメタルの得意技ですからね。カッコいい曲ってのはこういうもんだ、というのが刷り込まれたのかも。
中年になってこの曲を聴きなおすと、どれだけ頑張って栄光をつかんだとしてもトシを重ねれば必ず衰え、いつかは必ず次の世代にとって代わられる、盛者必衰というのはいつどんなときも真理、すると人生ってのはどこまでもひたすら虚しいもんだ・・と感じてしまう。しかしそうであるからこそ、「立たないで もうそれでじゅうぶんだ」といわれるくらいのところまで頑張って生きなければならないということでしょう。同時にそういう生き方をしてこなかったことをひたすら後悔させられ、これから心を入れかえなきゃあという気にもさせられる。
私のカラオケの十八番となった「サライ」
次に触れなければならないのはやっぱり「サライ」かなあ。
日本テレビの「24時間テレビ」のテーマ曲として1992年に発表された曲。弾厚作(加山雄三)作曲、谷村さんが「代表作詞」(視聴者からのメッセージを谷村さんがまとめた、ということになっている)。
当時私は就職をひかえた大学生で、もうテレビはあんまり見なくなっていましたが、若大将の曲がものすごく好きでしたから、「谷村新司と加山雄三が番組内で曲をつくる」という話を聞いて、これは見なきゃあ・・と思ってテレビの前に座った記憶があります。
曲を発表する前の段階の番組内で若大将が「(曲について)いまのところ全然考えてない。詞をみてからつくる」みたいなこと言ってて、いやいやいや嘘つけ・・と思いながら見ていましたが、できあがったという曲を聴いてひっくりかえった。なにこれ凄い。
番組内で即興でつくったってのはほとんど間違いなくウソだとしても(もしそうだとすればもはや奇蹟的)、これはもう異次元の素晴らしさ。
若かった私は仲間とカラオケに興じることがよくあって、この曲はすぐに私のレパートリーに加わることに。
就職したあとも職場の仲間でカラオケによく行きましたが、私が「サライ」を入れようとすると先輩が「その曲はダメだ」と言うので何でですかと訊くと、この曲は職場の長の十八番の曲なんだ、あの人が最後に必ず歌うから我々部下は歌っちゃダメだ、と言われ、サラリーマンの流儀というものを学んだ・・・ということもありました。正直なところ「面倒くさいなあ」と思いましたが、それ以来目上の人が混じっているときは「あの人どんなの歌うんですか?」「○○さん何を歌われるんですか?」と極力確認するように。そんなふうに「空気を読む」ってのが面倒くさくてトシを重ねるにつれカラオケに行かなくなりました。
亡父が聴きまくっていた「昴-すばる-」
それからこれも超有名曲「昴」。1980年にソロ名義で発表された曲。中国や東南アジアでも大人気というのも頷ける、全人類的なスケールの大きさを感じさせる名曲!
↑これが今年の歌声か。衰えを感じさせない素晴らしいパフォーマンスじゃないか。このあとに体調を崩されたわけか。人間ってのはいつどうなるかわからないもんだなあとかなしい気持ちになる。
これも異次元レベルの名曲。先述のカラオケでも私より上の世代はこれ歌う人が多かったですねえ。
私の亡父がこの曲が好きで、しかも同じ曲だけを何百回も繰り返して聴く人だったから、私も嫌でも最初から最後まで覚えた。
例の「目をとじて なにもみえず」という歌詞に亡父も「当たり前だよなあ!」と突っ込んでいましたねえ。詩だからそういう物理的な話ではないわけで、もちろん亡父もそれがわからないほどバカではなくギャグで言ってたんですけど、大人になって思うのは、「目をとじて なにもみえず」どころか、自分は目をひらいているつもりでもなにもみえてなかったし、いまもみえてない、ということ。まあそれは世の中の大半を占める凡人はみんな同じであると思うんですけど、たいせつなのは「自分は目をひらいているつもりでもじつはなにもみえてない」ということを自分で認識するということじゃないか、と。
自民党の議員なんかをみてるとそれがよくわかる。奴らはまさに目をひらいているつもりでもなにもみてないし、みようともしてない。だからやることは自分たちの保身をはかりカネと権力を維持することだけだし、大局的なものの見方ができないし、国民がじぶんたちをどうみているかをみようとしない。それがみえていれば、ふつうの神経なら恥ずかしくて議員なんぞ続けられないはずのみっともない奴しかいませんからねえ。
自民党の奴らのことはともかく、これほど壮大な感動曲にはそうそう出会えるものではありませんね。亡父の葬式で流してやればよかったなあ。そのときは考えつかなかった。
谷村さんの曲は好きなものがほかにもたくさんありますがこのへんにしておいて、残された音源を聴きなおすことで、その偉大な仕事に尊崇の念をもって感謝をささげたいと思います。