大相撲九州場所が終わりましたね。
優勝決定戦までもつれこみ、大関貴景勝、元大関の高安、平幕の阿炎の3力士が巴戦を展開。私の好きな演歌歌手のひとりである杜このみを奥さんにした羨ましい男、高安に今度こそ優勝してほしいと思っていましたが・・・
→おしい・・・。元大関・高安があと一歩のところで初優勝を逃がす。
平幕の阿炎が初優勝。SNSにアホな投稿したとして問題になったり、おととしコロナで協会によって行動制限がされてる中で飲食店に出入りしたとして3場所停止の処分を受けたり、いろいろあった人ですが、がんばって優勝できてよかったですね・・・
と言いたいところですが、優勝決定の巴戦の、高安との取り組みはなんだよありゃあ。優勝決定戦で立ち合い変化?バカなのかな。もうなにがなんでも優勝したいっていう欲しか頭の中にはなかったんだろうなあ。客は「カネ返せ!」ってもっと騒ぎなさいよ。あんなクソ相撲見せられて拍手する神経が理解できない。本割はまともにいい相撲だったのに全部台無しだろ。本割で勝ってチャンスが巡ってきちゃったから急に欲が出たのか。なにが「変化と言うよりは当たって横から攻めるつもりで」だよふざけた言い訳すんな。全然あたりに行ってなかったじゃないか。少なくとも客の目線ではどう見ても変化にしか見えない。直後の観客のあのシラ~っとした雰囲気からもそれは明らか。
こういうことがあるたび、立ち合い変化は禁止されてないからOK!勝負なんだから勝てばいい!とか言う人が多くて参っちゃうんだけど、明文化されたルールで禁止されてなければなにやってもOK、っていうのは先生になにか注意されて「そんな校則あんの?」とか屁理屈をぬかす中学生なみのタワゴトだし、なんでもいいから勝つことが大事、とかいう人が多い(ていうか協会の幹部とか横審ですらそんなレベル)から八百長が横行して相撲協会は存続の危機にまでなったんでしょ。まともにやっても勝てなきゃあ評価されないからまともに勝負する奴が少なくなり、相撲はどんどんつまらなくなった。
史上最悪のダーティ横綱・白鵬は、2016年の春場所千秋楽で立ち合い変化して優勝を決めて罵声を浴びましたが、それと同じように罵声とブーイングが飛んでしかるべきだった。二番勝つにはあれしかなかった?知らんよそんなことは。師匠はどういう教育してんだよ。
サッカーで痛くもないのに大げさに倒れて痛がって相手のペナルティを引き出そうとする奴なんかみると、勝てばなんでもいいっていう思考にしばられててプライドも哲学もねえんだろうなあ、って感じるんですけど、大相撲の力士のこういう姑息な相撲をみても同じような嫌悪感を感じます。
鶴竜なんか横綱のくせに立ち合い変化して、理由を聞かれたら「勝ちたかったから」とか言い放ちましたからねえ。正気で言ってんのかって心底ビックリした。格下が言うことだろそれは。それに、どうしても勝ちたいときは立ち合い変化が最強の戦術、であるなら、お前らなんのためにあんな激しい稽古してんの?稽古なんかしなくていいだろ。相手に気取られずに横に飛ぶ練習をしとけばいい。
誰が勝つかなんてどうでもいい。心が震わされるような、男と男の命がけのぶつかり合いが見たいだけなのに
立ち合い変化なんてやらない人は全然やらないんだから。そういうところをちゃんと見てちゃんと評価するまともな相撲ファンが少ないからこんなクソみたいな優勝決定戦をみせられることになる。元武双山の藤島親方は現役時代に立ち合い変化はまったくしなかったけれども、学生時代に団体戦でどうしても勝ちたくて1回だけ変化して勝って、でも全然嬉しくなくて後味悪く眠れなかったらしい。
元若の里の西岩親方も真っ向勝負をつらぬき男のなかの男を地で行ってた人ですが、彼もケガで苦しかったときに1回だけ立ち合い変化して(しかも負けた)、その日にそれを見てなかったファンに「若の里関の真っ向勝負の絶対に変化しない取り口が好きなんです」と言われて罪悪感に苛まれ、二度と立ち合い変化はしないと誓った、と著書に書いていた。
貴乃花も小錦にまともにぶつかって(最初のころだけ)ブッ飛ばされ、貴闘力が「真っ向から行っても勝てないからもうちょっと考えたら」と助言しても聞き入れなかったそうで、そんなふうに相手がデカかろうが格上だろうが確固たる信念をもって相撲とった人もいて、そういう男たちが命がけでぶつかるのが見られるから大相撲はカネを払う価値があるはずだった。今回の阿炎の相撲や、晩年の白鵬や鶴竜の相撲見て「ルールに反してないし勝負なんだから勝てばそれでOK」とか言って肯定するファンや、星勘定でしかものを言わない協会幹部や横審が大相撲をダメにした。
いずれにしろ阿炎は勝ちたいがためにファンをガッカリさせる(ファンなんかどうでもいいと思ってるんだろうなあ。自分がもらうカネを払ってるのは協会やタニマチであってファンではないと思い込んでいるんでしょう)相撲をとったのだから、批判は甘んじて受けるべきでしょう。クソみたいな言い訳せずに鶴竜みたいに「どうしても勝ちたかったから」って言うほうがまだマシ。それか「高安関は絶対に真正面から来るから変化すれば勝てるという作戦でした」って言ったほうがまだ好感がもてた。
しかしまあ、高安は本割で完敗してて、決定戦もまともに行ったとて勝てたかどうかはわかりませんね。変化にしてもそれに引っかかってばったり落ちちゃうのはつまり弱いからだ、とも言えるわけで、「もっと頑張らんか!」と言われても仕方がない。
高安のような男のなかの男がまたしても優勝を逃したのは残念至極でしたが、力士の実力が伯仲して毎場所「誰が優勝するかわからない」っていう展開になるのはとても好ましいこと。横綱大関が八百長で安定勝利するところ見てなにが面白いの?って話で、そういうふうに大相撲が少しは面白くなってきた、というところでこういうヒドイ相撲で優勝が決まったりするのはほんとうに残念。これでますますまともな相撲ファンは減り、星勘定だけで大騒ぎする人しか見なくなり(そういう人はそもそも見てないか)、そういう人に認めてもらうために力士は「最強の戦術」としての「立ち合い変化」を使いまくり、ますます相撲はつまらなくなるでしょう。このへんで一度滅んだほうがいいのかもしれない。