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オッサンが「アイドル」として売ることの限界

ジャニーズの「嵐」が、

来年末に活動休止をすることを発表。

私のように彼らにあまり興味のない人間は

「どうせ『やめるやめる』『最後の~』などと煽りながら徹底的に荒稼ぎして、結局なんだかんだ言いつつ活動し続けるっていうパターンなんだろ・・・」

とも思ったんですけどね、

会見で語られていたその理由が「自由に生活したい」。

これにはいろいろと考えさせられるものがあります。

いつまでアイドルやる(やらされる)の?

彼ら嵐が結成されたのは1999年だそうで、メンバーは当時全員10代。

もちろん「アイドル」として売り出されたわけですが、

20年経ったいまでも、

(もちろん、ビッグになったから仕事内容は大幅に異なっているけれども)

やってることは10代のころとほぼ同じですね。

ファンが彼らに求めることも、おそらく10代のころとあまり変わってないのではないか。

 

30代後半という年齢になっても、

「アイドル」という立場にいることに

窮屈さ、苦しさ、ムリ、を感じていた・・・ということなのでしょうか。

そうだとすれば、それは無理からぬこと、当然のことじゃないかと思います。

 

彼らの立場であれば、

たとえばパチンコしたりとか、

フーゾクで遊んだりとか、

「アイドル」というイメージと離れたことは絶対にできない。

彼らはそんなことしない・・・とファンは思うかもしれませんが、

女性と付き合ったり結婚したりといったことすらも自由にできないというのはどうなの、と。

 

10代のガキであれば

「とりあえず修行だと思ってすべてガマンしろ」

という使い方をされてもいいでしょうが、

オトナになればいろいろなことがあるし、

いろいろなことを考える知恵もついてくるわけですから、

「そろそろ別な生き方をしたい」と考えるのも当然でしょう。

オッサンを「アイドル」として売るのはもうやめるべき

「アイドル」として、言い換えれば「その人の存在そのものの魅力で」売る・・・

ということをオッサンになっても続けるのは

もういいかげんにやめるべき。

というか、必ずムリが出てきておかしなことになると思います。

 

元メンバーの友井雄亮の暴力報道で揺れた純烈。

彼らも40代で「スーパー銭湯アイドル」などといって売り込んでいましたね。

しかしこれが「アイドル」という売り方ではなく、

本格派の、徹底的にアーティスティックなコーラスグループ、

という触れ込みであったなら、

今回の騒動はこれほどまでのダメージにならなかったのでは、と思うのです。

本格的なコーラスグループとして、つまり男前であるとかカッコいいとかいうこと以外の部分で売っていたなら、

(純烈というグループとしては)メンバーチェンジをするだけですぐに終われた話なのでは。

 

もちろん、「アイドル」じゃなければ友井の暴力はたいしたことじゃない、

と言いたいわけではないです。

友井のやったことはそりゃあ許されないことでしょうが、

たとえ暴力を振るわなかったとしても

「アイドル」として売っているならば

男女間のトラブルなどは絶対に起こせないわけです。

 

40にもなりゃあ男女間の問題はもとより

人生を生きる上でいろんなことがあるだろうし、

いろんなことを考えるようにもなるでしょう。

しかし「アイドル」であるなら

ファンがもとめる姿から外れることはなにもできない。

 

今回、嵐のメンバーが「自由」などという言葉を口にしたのは

こういうことなのかな・・・と理解したのですが、どうなんでしょう。

いずれにしろ、オッサンをアイドルとして売るのはもういいかげんにしたら、と思うし、

ファンの側もオッサンに「アイドル」であることを求めるのはやめるべきでは。

 

これは演歌系の歌手にも言えることですよね。

氷川きよしや山内惠介や竹島宏の売られ方をみていると、

「演歌歌手」ではなく

「演歌界のアイドル」として売りたいんだろうな・・・としか思えない。

もうオッサンなんだから、徹底的に「歌」のクオリティで勝負しないと、

ハゲてズラが必要になったころにはファンがいなくなるのは必定でしょう。

 

・・・などということを、

嵐の活動休止のニュースをみながら考えました。

私は彼らのファンでもなんでもないけれど、

好きなことやって頑張ってほしいと思ってます。

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