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演歌は「ワンパターン」?

演歌・歌謡曲の衰退ぶりが激しいというのは

よく言われていることですね。

昭和のころにはミリオンヒットもよくあったけれども、

いまは10万枚売れたら大ヒットと言われちゃう。

 

これにはさまざまな原因があると思うので、

いちリスナーである私には詳しく論ずることができませんが、

演歌が支持されない理由としてよく言われるのが

「全部似たような曲ばっかりでワンパターンだから」

というのがありますね。

 

今回はこれについて思うことを書いてみたい。

世にあふれる音楽はどれもこれもワンパターン

たしかに、いわゆる演歌はどれも似たような感じ・・というのはわかる。

伝統的な曲の進行、様式というものがあるし、

数人の大御所といわれる作曲家が

多くの歌手の作曲を手掛けていることが多く、

歌手の数だけ曲のカラーがある・・・ということにはなってない。

 

しかし・・・ワンパターンなのって、演歌だけじゃないですよね。

私に言わせればAKBやジャニーズ系は全部同じだし、

いわゆるJ-POPも全部同じように聞こえるし、

ブルーズやジャズなんてのも全部同じようなもんだし、

クラシックなんてのもどれもこれも同じだ。

 

私の好きなヘヴィ・メタルも、知らない人に言わせれば

「ただウルサイだけで全部同じだろ」となる。

そのヘヴィ・メタルのファンであっても、BATHORYとかCANNIBAL CORPSEとかは全部同じに聴こえる人が多いでしょう。

デスメタル大好きな私であってもCRYPTOPSYやCHILDREN OF BODOMなんかは全部同じにしか聴こえない。

 

結局のところ、

「ワンパターン」なんてのはどんな音楽もそんなに変わらないのであって、

べつに演歌に限ったことではない。

そう感じる人にはそう感じられる。というだけ。

 

しかし私が「ジャズなんかだって全部同じに聴こえる」と言ったなら、

ジャズ好きからは「それはお前がなにも知らないからだろ」となるわけだ。

つまり「演歌はワンパターン」なんてのも、

ただ単に「よく知らないから」全部同じに聴こえる、というだけなんじゃないか、と。

 

だから、「ワンパターン」と批判する前にもっとよく聴けよ・・

という話なのですが、

「全部同じに聴こえる」と言われちゃうほうにも問題はある。

つまらない曲が多いから同じに聴こえる

というのはやっぱり、

退屈な曲ばかりだから全部同じに聴こえる、というのがあるんだろうな、ということです。

 

さきほど引き合いに出したCHILDREN OF BODOMというのは

フィンランド出身のメロディック・デスメタルバンドで、

私は大嫌い。

ギターとキーボードの速弾きをひけらかすリフとソロ、そこへ吐き捨て型の汚い声でガナる不快なヴォーカルがのる・・

という、ひたすらワンパターンの楽曲をず~っとやり続けている。

 

これだけ同じ曲ばっかりで、やるほうも聴くほうもよく曲が覚えられるもんだ・・と感心するくらいのワンパターン。

ワンパターンでもそれがカッコよければいいけれど、全然カッコよくない。ひたすら安直。思いつきだけの曲。

こんなのが「ヘヴィ・メタル」だと一般の人に認識されたら迷惑千万なことであるので

とにかく新譜とか出すのやめてほしい・・っていうくらいのもの。

 

こういうサウンドは一般的に「北欧メロディック・デスメタル」とくくられていて、

同じくくり(よく聴けば音楽性は全然違うんだけど、あくまで一般的に)

のなかには(初期)AMORPHISとか(初期)SENTENCEDとか(初期)DARK TRANQUILLITYなどといったバンドたちもいて、

圧倒的に素晴らしい曲をたくさんもっているバンドもある。

 

CHIRDREN OF BODOMを聴くときは全部同じに聴こえる私だけれども、

同じ「メロディック・デス」とくくられているほかのバンドを聴くときは私は「ワンパターン」とはあまり感じない。

ここを考えてみると、

「全部同じに聴こえる」というのは

「つまらない曲しかないから」ということになるのかな、と。

 

同じのばっかりといわれる演歌のなかでも、

その決まりきった様式を踏襲しつつも

人の心に突き刺さる圧倒的インパクトをもった名曲はたくさんあるわけで、

「演歌はみんな同じに聴こえる」のではなく

「つまらない曲が多いから同じに聴こえる」

というのが正解なのでは。

いい曲が少ない→「演歌はワンパターン」と敬遠される→売れない→ルックスや人柄で売ろうとする→ますます曲がつまらなくなる

最近は演歌・歌謡曲の世界でも

CDにイベント応募券などをつけたりして

なんとかしてCDをたくさん売ろうとする動きもあるようですが、

これは非常に危険なことじゃないかと思うのです。

 

メルカリとかみてると

応募券などの特典だけをいただいてから

残ったCDだけを売っている人がたくさんいますね。

こういう人たちは間違いなく曲はどうでもいいと思っている。

曲ではなくその歌手自身に魅力を感じているんでしょう。

 

そういうファンを獲得することも大事なことではあるんでしょうが、

いまの演歌・歌謡曲シーンをみていると

いい曲がない→ヒット曲が出ず売れない→ヴィジュアルの良さや人柄の良さで売るほうが手っ取り早い→ますます曲がつまらなくなり、表現力皆無の歌手ばっかりになる→ますます曲が売れない・・・

というループに陥っている気がするのです。

 

その結果、「演歌は嫌いだけど山内惠介は好き」などというファン「しか」いなくなり、

演歌はますます衰退する。

ほんとうは「山内惠介自身には興味ないけど、彼の歌は好き」

というファンを増やさなくてはならないのでは。

でも演歌・歌謡曲界全体がそういう方向には行ってないですよね。

 

「演歌は全部同じに聴こえる」といわれてしまうのも、

ビジュアルと人柄だけに惹かれて曲を聴かないファンが多いのも、

結局のところは

曲がつまらないから・・なのだから、

「同じに聴こえる」などと言わせないくらいの

カッコいい曲を期待するしかない。

 

だから島津亜矢みたいな、カッコいい演歌をカッコよく歌える人はJ-POPなんぞを歌っていてはいけない。

演歌が売れないからといって似合わないことをず~っとしていては、

ますます演歌が売れなくなるでしょ。

 

小林幸子にしろ大川栄策にしろ山本譲二にしろ、

売れなくてもそのスタイルを変えずにひたすらにいい歌を歌おうと続けてきたからこそ

大ヒットが出て一流になったのだから、

ワンパターンでもいいから愚直にカッコいい曲を目指していってほしいなあ。

そういう意味で日和らずに同じスタイルを貫く歌手こそを応援したい。

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