哀しみの演歌と絶望のメタルを聴き漁るブログ

演歌とメタルをとおして、人生の理不尽さをみつめるブログ。

雑談

東京オリンピックが閉幕。

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招致の段階からさまざまな不祥事と醜聞にまみれまくった、東京オリンピックが閉幕しましたね。

そのスキャンダルのほとんどは、オリンピックによってうまい汁を吸おうという権力者や貴族や関係する業界の人間によるもの。私は招致段階からオリンピック否定派でしたが、オリンピックがこんなに恥ずかしいものになったことには参加した選手たちにはなんの関係もないことで、選手たちの努力にはもちろん拍手を送りたいし、この逆風と猛暑の中で大会運営に携わった組織委などの一般職員の方々やボランティアの方々にも「お疲れさまでした」と言いたい。テレビのワイドショーなんかはオリンピック中止を叫びながらメダリストを称賛していることに対して「手のひら返し」と批判されていましたが、オリンピックの大会運営について批判することと、選手やボランティアを称賛することはべつに矛盾することではない。

今回はオリンピックを(あまり見てないけど)みて感じたことを書いておきます。

これで「五輪は成功」と強弁する政治家の面の皮の厚さに驚愕

IOCのバッハ会長は東京大会について「大成功」と強調。菅首相ら政治家たちもそんなようなことを言っていますね。

権力者が自分の過ちを認めず、自画自賛するのはいつものことだとしても、いったいなにをもって「成功」と言うのだろう。

バッハの場合は、とにかくなにがなんでも中止を回避さえできれば「成功」っていうことだったんでしょう。

スポンサー企業の場合は、要は宣伝になればよかったんだから、すると無観客になっちゃったことで宣伝効果が減り、その意味では成功でなかったという企業もあったのかな。ああ、トヨタは成功じゃないですか?森喜朗氏の「女性蔑視発言」に対して、自分の会社は女性取締役や役員がぽつぽつとしか(しかもつい最近までは長い歴史上ひとりもいなかった)という完璧に男性優位のジェンダー差別企業そのものなくせに「トヨタが長年重視してきた価値観とは異なる」とか言って批判して企業イメージの向上につなげようとした。これはものすごく気持ち悪かった。名古屋の河村市長にメダル噛まれたのも結果としては「後藤選手はトヨタ所属」ということがよく知れ渡ることにつながりましたね。トヨタは来る北京五輪でもスポンサーになっている。中国のような人権蹂躙国家での五輪にカネを出すということは、人権なんかよりもカネが大事、という企業であると宣言するようなもの。14億人の市場を捨てる覚悟でスポンサーを降り、人権重視をアピールしたりすれば「さすがだ」ってなりますけどねえ・・・その程度の企業が日本のトップ企業なんだから、もう日本はお先真っ暗。

政治家にとっての五輪の「成功」は、大会におけるコロナ対策が成功して感染者が大量に出ることなく、そして日本人選手がメダルをいっぱいとって国民が盛り上がってこれまでの政治の失態を忘れ、支持率の向上につながることか。するとこれもどう考えても「失敗」だったのでは。大会関係のコロナ感染者は少なかったからok、みたいな話になってるけど、それもどこまでほんとうかわかりはしない。検査もいったいどこまできちんとやったのか。

かかわった人たちそれぞれの立場からみれば、成功ともいえたし失敗でもあったんでしょう。それはどんなイベントであろうが同じでしょうが、何年も前から懸念されていた暑さ対策も結局ウヤムヤのまま、マラソンで30人も棄権者が出たようなオリンピックが、スポーツイベントとして「成功」と呼べるのか。一つ覚えのように言われていた「アスリートファースト」の視点で言うなら、これを「成功」というのはあまりにもバカにしてないか。

政治家は「夢」「希望」「勇気」などと言っていたが・・・

橋本大会組織委員長は、「コロナ禍の今だからこそ、限界に挑戦しつづけるアスリートが大会で生む感動に世界中の人々が心を揺さぶられて希望と勇気を得ることと確信している」と言ったし、都知事や五輪担当相なども同じようなことを言っていましたね。

この点に関してはどうだっただろう。たしかに日本選手がメダルいっぱいとって盛り上がったりしたが、言うほど「希望を与えられた」りした?

 

これ言うと怒られるだろうけど、想像を絶する努力によって培われたであろう常人離れした能力や技術に「凄い」と感嘆することはあっても、べつにそれで「勇気づけられる」なんてことは、未来ある子どもたちは「ボクもああいうふうになりたい!」と希望を与えられるかもしれないとしても、オトナは別にそんなことないんじゃないかなあ~としか。

まあ「感動」するということはもちろんある。それは、それだけの技量を身に着けるための努力や鍛錬が凄まじいものであったであろうことを想像したとき。「スポーツの力」っていうのはそういうことであって、それ以上のことはないのでは、っていう気がします。しかし、横綱白鵬のあのダーティ相撲にも拍手を送っちゃう人がたくさんいることでもわかるように、大部分の一般国民は「勝てば官軍」、勝ったか負けたかという結果だけをみているのであって、その戦いぶりの内容やそこに至るまでのアスリートの苦労や心情などあまり考えない。勝ったときは称賛するし、負ければケナす。ただそれだけ。

大病から復活して五輪に参加した水泳の池江選手は、個人種目に出なかったのもあるけどメダル獲得はなかったからあまり話題に上らなかったし、バドミントンの桃田選手も交通事故から努力して復活して出場したのに、予選落ちしたためにテレビのワイドショーなんかではまったく取り上げられなかった。両選手がもしメダルをとっていればテレビやCM出演数、そのギャラは数倍になっていたはず。

政治家が「スポーツの力」などとほざいても、その政治家自身も日本国民もスポーツに対しては「勝てば官軍」としかとらえていないんだよなあ~ということを再認識した次第。その意味で言うと、柔道の大野将平選手の「我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば、本当に光栄に思います」という言葉は非常に重みがある。選手自身が「勇気を与えたい」とか言うのはすごくおこがましい、と感じますが、大野選手のこういう謙虚な言動には、まさに心が動かされる。我々観衆は、選手が金メダルを取ったこと自体よりも、大野選手のように勝っても喜びを表に出さずに相手に対して深々と礼をしたりする姿に「感動をありがとう」と言うべきなんだよなあ。世界ランキング1位のくせに負けてムカついてラケットをぶち壊すようなテニス選手とは男としての格が違いすぎる。

2020東京オリンピックを象徴することになるであろう音楽が見当たらなかったのが残念

このブログはいちおう音楽について書くブログなのでその話も少し。

数十年後に、「2020東京オリンピック」と言われて頭に思い浮かんでくる音楽になるであろう、という曲がひとつも思い浮かばないことが残念だったかな、という気がします。

1964年東京オリンピックの「東京オリンピックマーチ」はかなりカッコよくて、生まれてなかった私ですらも聴けば「あ、東京五輪」とわかりますが、この曲は今回使わなかったのかな。開閉会式全部は見なかったからわからない。

 

よくよく考えてみると、7年も準備期間があったのに、開会式の入場行進ではゲーム音楽がBGMなのかよ、オリジナル曲を久石譲あたりにつくってもらえよ・・としか言いようがないですね。

 

↑個人的にはオリンピックといえばコレ。1984年ロサンゼルスオリンピックの曲。これはもうカッコよすぎ。すべてのオリンピックの公式テーマにするべき。冒頭のキャッチーなフレーズは一度聴けば絶対に忘れない。古関裕而も凄いがジョン・ウィリアムズも凄い。こういうふうな凄い曲が生まれていれば、それだけで2020東京大会も感慨深いものになっていたかもしれないのに・・・と思うと残念。そういうことにカネを使おうっていう発想が出てくる人たちが、組織委員会とかにはいなかったんでしょうね。

 

ともあれ、宴が終わって残ったものは瓦礫だけ、という感じになった東京五輪。終わってしまったものは仕方がないけど、五輪なんてほんとうに必要か?という議論が沸き起こり、北京五輪反対の機運が盛り上がってほしいと思っています。

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