WHOが新型コロナウィルスに関して「パンデミック(世界的大流行)」を宣言。
もはや、これからはインフルエンザと同じようにこのウィルスと「共存」していかなくてはならなくなるかも・・・という話も出ていますね。
治療薬やワクチンができるまで、なんとかしてできるだけ拡大スピードを抑える・・・ことがとりあえずの目標となるわけか。
するといまみたいに他人と気軽に握手したりハグしたりすることができないようなギスギスした世の中がしばらくは続くのか。嫌だなあ。
まあ、私は握手やハグなんかする機会はほとんどないですけどね、特養にいる母に会いに行けないのも困るし、コンサートなんかが観られないというのも困る。
どのような対策を講じればいままでのような生活や経済活動ができるかを模索しながらやっていくしかないんでしょうね。
それはそうと、今回の「新・BS日本のうた」は、「名曲続々!同世代・小林×鳥羽が大好きな昭和に思いをはせる」。
出演は、池田輝郎,岩佐美咲,小林幸子,鳥羽一郎,新浜レオン,西方裕之,増位山太志郎,松前ひろ子,Ms.OOJA,水雲-MIZMO-,三丘翔太,群馬県立渋川高等学校吹奏楽部。
2月20日に群馬県渋川市で収録されたものです。
鳥羽一郎と小林幸子のスペシャルステージを目当てに観た
今回の曲目は以下のようになっていました。
古今東西名曲特選
「青春時代」・・・・新浜レオン&全員
「夜のプラットホーム」・・小林幸子
「男の背中」・・・・増位山太志郎
「雨に濡れた慕情」・・岩佐美咲
「ウナ・セラ・ディ東京」・・水雲-MIZUMO-
「リンゴ村から」・・・池田輝郎
「駅」・・・・・・・・Ms.OOJA
「終着駅は始発駅」・・松前ひろ子
「恋あざみ」・・・・・鳥羽一郎
特報★新曲情報
「燈台灯り」・・・・・三丘翔太
「波止場」・・・・・・西方裕之
スペシャルステージ
「昭和枯れすゝき」・・鳥羽一郎&小林幸子
「星影の小径」・・・・鳥羽一郎&小林幸子
「おもいで酒」・・・・小林幸子
「男の港」・・・・・・鳥羽一郎
「兄弟船」・・・・・・鳥羽一郎
「雪椿」・・・・・・・小林幸子
「みだれ髪」・・・・・小林幸子&鳥羽一郎
「酒と泪と男と女」・・小林幸子&鳥羽一郎
古今東西名曲特選パート2
「青春のパラダイス」・・新浜レオン&三丘翔太&群馬県立渋川高等学校吹奏楽部
「涙そうそう」・・・・Ms.OOJA&岩佐美咲
「玄海ブルース」・・・池田輝郎
「空港」・・・・・・・水雲-MIZUMO-
「赤城の子守唄」・・・西方裕之
特報★新曲情報 パート2
「涙の夜風」・・・・・増位山太志郎
「夫婦鶴」・・・・・・松前ひろ子
渋川高校は男子校?吹奏楽部が全員男性というのはけっこう珍しいですね。いや別にいいんだけど。
増位山の声はいつ聴いてもいいなあ。曲はいつもたいしたことない気がするけどこの人は声の魅力だけでそれをすべて帳消しにできちゃう。たとえハゲでデブのオッサンだったとしても、マイク持ったとたんにこの声で歌い出したらモテモテ(これも昭和の死語か)でしょうね。
しかしなんといっても見どころは鳥羽一郎と小林幸子のスペシャルステージ。
「昭和枯れすゝき」のような曲は、令和にこそふさわしい
「スペシャルステージ」は鳥羽一郎と小林幸子。
唯一無二の存在感を確立してるふたりが昭和の名曲を歌いまくったんだから内容に文句のあるはずもない。さすがだ。
ちょっと短かったなあ。
「昭和枯れすゝき」からスタート。
この曲は昭和49年に発表された、さくらと一郎が大ヒットさせた曲。
私は幼稚園児でしたからリアルタイムでは知りませんが、絶望的な内容の曲でありながら、オイルショックで暗くなった世相を反映してか超ヒットしたということらしい。
どうしようもなく陰鬱なメロディはもちろん、歌詞もとてつもなく暗い。放送にのせるにはあまりに悲惨な歌詞。「いっそきれいに死のうか」ですからね。今なら「自殺教唆の曲を流すな」とか騒ぐ奴がいそうです。
それにしても、いまはドラマでも歌詞でも漫画でもそうですが、こういうふうに「ほんとうにあること」を真正面から描くものがほんとうに少なくなりましたね。
NHKの朝ドラなんかはその傾向が顕著じゃないでしょうか。「おしん」みたいに重い現実(もしくは過去)を観衆にたたきつけるようなものはほとんどなくなりましたよね。最近のはほとんどメルヘンの世界。
現実から目をそらすような、少女漫画と見紛うような空虚なものばかり。
世相の暗さという点で言えば、はっきりいって昭和のオイルショックのときよりも今のほうがヒドイだろというくらいで(不景気や少子化やコロナ、そして国をひっぱる政治家の無能さ加減も昭和とは比較にならないし)、「昭和枯れすゝき」のような曲を聴いて共感するものがある人は今でもたくさんいるはず。ていうか今こそこういう曲が必要なのでは。
しかし、令和時代を覆いつくしているこの閉塞感、絶望感を真正面から取り扱う歌って凄く少ないですね。
そこにある絶望ではなく、それを一足飛びに無視して希望だけを歌うものばかり。
だから歌にリアリティが感じらないし、だから心に響かないし、だから売れないし、だからCDが売れないんじゃないのかなあ。
いや、そんな絶望の曲を出しても売れねえだろ、ということなんでしょうね。
そして、耳ざわりのいい、当たり障りのない、軽薄な使い捨ての曲が量産され、世の中は心に響かないクソ曲で埋め尽くされていく。
リスナーは軽薄なクソ曲を聴かされて幼稚化し、リアリティのある重い曲はますます好まれなくなる。
思えば平成以降の三十数年間、日本のポピュラー音楽シーンではこれが続いて、その結果いまの「CDが売れない」状況が生まれたんじゃないですかね。心に響く曲よりも手っ取り早く売れる曲を目指したから、いまとなっては握手券だのなんだのをつけなければ売れなくなってしまったのでは。
といったようなことを。鳥羽一郎と小林幸子の「昭和枯れすゝき」を聴いて考えました。
こういう曲がミリオンヒットになった昭和という時代はいろんな意味で凄かったんだなあ。
こんな暗い曲が生まれない、一見して昭和よりも進化したようにみえる令和時代のこの息苦しさ、生きづらさはいったいなんなんだろう。個人的には「全部自民党が悪い」と言いたいところです。
といったところで今回はこのくらいにしておきます。
次回は無観客ですね。