自民党所属で北海道選出の長谷川とかいう参院議員が道や札幌市の職員に対してパワハラを行っていたとして問題になっていますね。
ほんと自民党にはロクな奴がいねえな!というのはともかく、こういう話はよく聞きますね。自分の部下でもないのに自治体の職員にエラそうに命令するってのはどういう神経なんだろう。まあ我々一般市民に理解可能な神経の持ち主なら自民党などという詐欺集団に所属しようなんていう考えは起こさないはずですけどね。カネと権力のことしか頭にないんだから常識的であれと言ってもムダ。こんな野郎を選出した国民にも責任がある。いや国民が「こんな野郎はダメ」と判断しても比例代表制などというクソ制度のおかげで政党の胸先三寸で復活させてしまえるんだから、やっぱり詐欺政党自民党が全部悪いということか。そしてその自民党をいまだに指示している一部の国民のせい。
そういえば吉幾三がYOU TUBEで「国会議員の態度が横柄だった」と告発した動画があったそうで、それが長谷川のことだっていう話ですね。そんなことをわざわざ動画であげるくらいだからよほどひどかったんでしょうね。枕をふたつ用意しろとか特別待遇を航空会社に強要してたとかなんとかいう話も報道に出ている。自治体の職員のみならず民間企業の人間に対してもそんなことしてるのか。誰のおかげで国会議員なんぞになれたと思っているんだ。選挙民のおかげだろ。自治体の職員も航空会社の社員もみんな選挙民なのだが。
吉幾三のような、じぶんの才能と実力で唯一無二の存在になった天才であったならば、もし万が一「横柄」だったとしても「天才は変人が多いからしょうがないよね」と諦めもつくかもしれない。イングヴェイ・マルムスティーン(スウェーデン出身のロックギタリスト)なんかもとてつもなく横柄なことで有名だけれども、あそこまで才能が桁違いだとそれも無理もないのかなという気にもなる。自分以外は全員ウスノロにみえるでしょうからね。
まあ天才なら尊大でも許されるということはないが、そういった唯一無二の天才たちと違って国会議員なんてのは特別な才能は必要ないしかわりなんぞいくらでもいる。人をうごかす権力が与えられているとしても、それを与えたのは選挙民。もともとそいつが自分でつくりだしたものではない。そんな人間がなにを勘違いすれば公務員や民間人に対してパワハラなんぞできるのか。どういう育ち方すればそんなふうになるのかまったく理解できない。
本人は「表現方法に無自覚だった」とかぬかしてごまかそうとしてるようですが、全然わかってねえんだなあと心底呆れる。表現方法ではなく自分の立場というものに対して無自覚というか間違った自覚を持ってるんだろ。「表現方法が・・」ってのはつまり「自分が言ってること自体は間違ってない」という主張にほかならないわけで、1ミリも反省してないのは明らか。国会議員なんぞ選挙で落ちればただのオッサン、エラクもなんともない、とはなぜ考えられないのか。50過ぎてやってることは立場を利用したパワハラとか、情けなさすぎる。
役所と議員の関係はよくわからないけれども、こういう奴が「俺はエライ」などと勘違いしないようにするためには、まずは選挙民が議員なんぞを「センセイ」などと持ち上げるのをやめることから始めなきゃダメでしょうねえ。まあそいつら議員に自分たちの都合のいい政治をさせてうまい汁を吸おうとする奴らは「センセイ」とおだてるのをやめないでしょうけど、そういう人間が自民党みたいな利益誘導だけが商売の奴らを増長させ、その結果日本が斜陽になったわけで。せいぜい「さん」付けか「議員さん」とかが妥当なんじゃないか。
最近は刑務所でも受刑者に刑務官を「センセイ」と呼ばせるのをやめようという話になってるらしいですが、「センセイ」などと呼ばれりゃあその気になって「自分はエライ」と勘違いしてしまうのが人間というものです。自分が世話になっている教師や医師なんかならともかく、議員なんぞは(とくに自民党は)ほとんどが私腹を肥やすためにやっているような奴らばかり。そんなのをセンセイなどと呼ぶ理由も義理もないんだから、まずはそこからはじめて、議員の奴らには自分の立場について正しい自覚をもたせるべきじゃないか。
で、今回の「新・BS日本のうた」は、埼玉県鴻巣市での公開収録。
出演は、
小林幸子、天童よしみ、角川博、美貴じゅん子、西島三重子、和田青児、パク・ジュニョン、門松みゆき、真田ナオキ、原田波人。
地元が盛り上がる企画を復活させろ!
今回の曲目は以下のようになっていました。
「夜が明けて」・・・・小林幸子
「あの丘越えて」・・・天童よしみ
「俺はお前に弱いんだ」・・真田ナオキ
「恋のハレルヤ」・・・門松みゆき
「おやじの海」・・・・和田青児&真田ナオキ&原田波人
「お祭りさわぎ」・・・パク・ジュニョン
「智恵子抄」・・・・・美貴じゅん子
「愛人」・・・・・・・美貴じゅん子&門松みゆき
「シングルベッド」・・原田波人
「旅姿三人男」・・・・角川博
「池上線」・・・・・・西島三重子
「傷だらけのローラ」・・真田ナオキ
「君だけを」・・・・・原田波人
「時の過ぎゆくままに」・・パク・ジュニョン
「大ちゃん数え唄」・・天童よしみ&原田&パク
「もしかしてPARTⅡ」・・小林幸子’真田&パク&原田
「アマン」・・・・・角川博&門松みゆき&天童よしみ&パク&原田
「なめとんか」・・・天童よしみ
「りんどう峠」・・・小林幸子
「もう一度逢いたい」・・・天童よしみ&小林幸子
「帰郷」・・・・・・天童よしみ
「越後絶唱」・・・・小林幸子
「千本桜」~「みんなの桜」・・小林幸子&天童よしみ
「万燈籠」・・・・・原田波人
「寒流」・・・・・・パク・ジュニョン
「昭和かたぎ」・・・・天童よしみ
小林幸子と天童よしみが中心となっていました。小林幸子はクソ曲「千本桜」はやっぱりちゃんとやるのね。ウケるからやるんだろうけど、どう考えても小林幸子ほどの人が歌うべき曲じゃないと思うなあ。いつも言うけどこういうのは鳥羽一郎や北島三郎がセカオワやヒゲダンを歌うようなもんじゃないかなあ。余興としてたまに歌うんならそれもアリだろうけどまるで代表曲のような扱いなのがねえ・・・。
それ以外はいつもどおり素晴らしいパフォーマンスばかりで満足でしたが、もう何度も言ってる文句をここでまた言いたい。
というのは「この町 この一枚」といって開催地の紹介を写真1枚ですませるコーナー。
これは長いことみている視聴者からすると徹底的に手抜きに感じるんですよ。コロナで地元出演者を出すのをやめてしまって、その後はこのように申し訳程度に地元を紹介するだけになっちゃってる。
悪いけど私はこれを全力で早送りして飛ばしている。しかしこれだって、たとえば地元の高校の合唱部でも呼んでコーラスにでも参加してもらい、そのついでに彼ら自身に中身を考えてもらって地元の魅力をプレゼンさせる、とかいう内容であれば私もたぶん全力で見るし、見に来ている人もそうなるでしょう。前はそれをやってたじゃないか。のど自慢が不滅の人気を誇っているように、素人が一生懸命やってるところを見るのは気持ちがイイもんなんですよ。まして見に来ているのは多くが高齢者もしくはもうすぐそうなる人たち。子どもや孫みたいな人のパフォーマンスには無条件で拍手を送りたくなるはず。
地元の学生だの合唱団だのが出るっていうのが、民放の歌番組にはないこの番組独自の魅力だったのに。いまだにそれを復活させないってのはどうやらその気がないということか。するとこの番組もあんまり長いことないのかなという気もしてくる。
・・という文句はもうなんべんも書いたからこのへんにしておいて、次回に期待しましょう!沖縄回か。ゆかりの曲がいっぱい聴けるのかな。