銃撃され亡くなった安倍元首相の「国葬」を行うと、政府が検討(決定?)しているようです。
あの中曽根元首相あたりでも「国葬」ではなく内閣と自民党の合同葬だったのに、安倍元首相は「国葬」にするらしい。「国葬」となればその費用は全部税金。
内閣と自民党の合同葬であっても税金が投入されるという点では同じですが、いずれにしろ納税者たる私たちはそれが税金の使い方として是が非かチェックする必要があるし、「非」だと思うならば「おかしい」「やめろ」「道理に合わない」と声を上げるべきなのは当然でその権利もあるはず。しかし情に流され冷静に合理的に考えられなくなっている一部の人たちが、国葬に「非」という人たちに対し「非国民」とか「外道」などとツイッターなんかで非難しているらしい。
ツイッターなんぞやらないから詳しくは知りませんが、税金の使いかたに文句を言うだけで「非国民」などと言われてしまうとは、日本はいつからそんな全体主義国家になったんだろう。時計が巻き戻って大日本帝国の時代になってしまったという錯覚に陥る。こんなふうに国民の分断を煽ってまでも「国葬」をやろうというからには、そこになにか権力側の都合があるんだろう、と考えなくてはなりません。
専制国家なんかで権力者の盛大な葬儀をやったりデカい墓をつくったりするのは、多くが権力者(もしくはあとを継ぐ権力者)の権力誇示を目的としていますよね。今回法的根拠もない(内閣府設置法にある?それは無理筋なのでは。戦没者追悼式なんかも内閣府設置法を根拠に閣議決定で「国の儀式」としてやってることだから国葬もそれでイケる、とかいう話だけど、それといち政治家の葬儀では次元が違いすぎて一緒くたにするのは違和感がありすぎる)「国葬」を岸田が強引に決めたのをみると、まさにこれは安倍元首相の非業の死を自分たちのために政治利用するものにみえてくる。国民は安倍さんの死を悼む気持ちがほんとうにあるのなら、「人の死を政治利用するな!」と怒るべきであり、批判をおそれ国葬に賛成してる野党は恥を知るべきです。国民も野党も「国葬にしたいんならちゃんと手続き踏め。法律つくってからやれ」と言うべき。国民の代表が集まってる国会で国葬に関する法律をつくってそれに基づいてやるんなら仕方がない。しかし国民が貧しくて苦しんでるのに多額の税金で自分たちの仲間の葬儀をすることを一存で決め、国民に「彼を崇めたたえよ。そのためのカネ出せ」と強制するなら、それって北朝鮮となにが違うの? 税金でやるんなら強制するのと同じでしょ。
戦没者追悼式は反対する理由なんかないし「国の儀式」って言われてもそれは誰もが納得するだろうけど、いち政治家の葬儀を「国の儀式」にすることには問題が多すぎるでしょ。それに「国葬」ってな国家に多大な貢献をした人に対してやるものらしいですが、安倍さんがそれほどのことやったかっていうと疑問、っていう人も多いでしょう。私もそう。キョーレツな違和感しか感じない。きくところでは、「国葬令」という国葬に関する法律が失効した第二次大戦以降、皇族を除けば「国葬」でおくられたのはあの吉田茂元首相だけらしい。吉田茂の国葬が妥当だったのかどうかそれもちょっと疑問ですが、日本を高度経済成長に導いた池田勇人や、沖縄返還の佐藤栄作、国鉄・電電公社・専売公社の民営化や日米同盟の強化に成功した中曽根康弘ら、そのあたりの目立った功績のある元首相たちですら国葬にはなってないのに、安倍さんが国葬? そんなすごい仕事したっけ? 言いたくないが(少なくとも庶民目線においては)「功績」よりも「失政」、いやそれどころか「疑惑」のほうがいっぱい思いついてしまう。
国葬にする理由はなにか。岸田首相の答は(引用元→時事通信社 安倍氏「国葬」、今秋に 岸田首相「民主主義守る決意」―戦後2例目、閣議決定へ)
(1)憲政史上最長の8年8カ月にわたり重責を担った(2)東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係基軸の外交など大きな実績を残した(3)外国首脳から極めて高い評価を受けている(4)民主主義の根幹たる選挙中に突然の蛮行により逝去した
だそうですよ。
う~ん、よくわからない。「具体的な成果はとくにないけど長くやったし海外の人とも仲良くやったから」っていうふうにしか読めない。最長の8年8か月首相をやった。だからどうした。それは彼が選挙に強かったから、自民党の都合で結果的にそうなっただけでしょ。長くやりゃあいいってもんでもない。日本経済の再生?いやいや、ぶっ壊したでしょ。少なくとも庶民の多くは「貧しくなった」と実感しているのに、経済が再生したとかなに寝言言ってるんだろう。外交に大きな実績?北方領土も拉致も一歩も進められなかったのに? 外国首脳の高い評価?そりゃあ今は口ではとりあえず高く評価するでしょ礼儀として。それに海外の人間がなんといってようがそんなことは関係ないでしょ。選挙中に撃たれたから?それが国葬となんの関係が?
どう考えても、過去の国葬されなかった元首相となにが違うのかさっぱりわからない。安倍さんを国葬なら首相経験者はみんな国葬でおくらなきゃって話にならないか。みんなそれなりの功とそれなりの罪がある人たちであるのは同じ。自民党の首相経験者が亡くなるたんびに国葬で巨額の税金使われたらたまらん。
国民目線で安倍さんがほかの首相経験者よりもダントツに特別扱いされなきゃならない理由は・・・ある?どこに?ないでしょ。なら、特別扱いするのはどこまでも政権側の都合なんだろうな、ということに。ときの政権の都合のために「国民栄誉賞」をつかうのと同じなのかな。外交の面で国益につながるのなら外国首脳を招いて国葬にするべき、という向きもあるでしょうが、国葬ってのはそういう目的でやるもんじゃないでしょう。それじゃあまさに人の命を政治利用することになる。
ともかく、反対する国民もたくさんいるわけだし、ここはちゃんと法整備して国民を納得させられる根拠をちゃんと示してからやれ、と批判するべき。法整備できないなら自民党がカネ出して盛大におくってあげれば。自民党が自分たちのカネでやるんなら国民の誰も反対しませんよ。
今はあまり言いたくないけど、そもそも本来なら刑事訴追されてしかるべきなことをたくさんやり虚偽答弁や公文書改ざんで「民主主義の根幹」を揺るがし血税をドブに捨てまくった人。亡くなったからといってそれはチャラにならない。チャラになることはあってはならない。そこにひっかかって「国葬?正気なの?」っていう私のような国民を納得させるだけの説明を、岸田首相はじめ自民党の人たちは尽くしてほしいものです。
で、今回の「新・BS日本のうた」は、高知県高知市での開催。
出演は、由紀さおり、川中美幸、鳥羽一郎、夏川りみ、市川由紀乃、坂本冬美、こおり健太、クリス・ハート、城南海、徳永ゆうき。
平成の名曲を堪能。令和にもこういう素晴らしい曲がいっぱい出ることを願う!
今回の曲目は以下のようになっていました。
「一度だけなら」・・・坂本冬美
「旅愁」・・・・・・・市川由紀乃
「昭和枯れすすき」・・川中美幸&こおり健太
「人生の並木道」・・・徳永ゆうき
「恋文」・・・・・・・由紀さおり
「越冬つばめ」・・・・夏川りみ
「見上げてごらん夜の星を」・・クリス・ハート
「逢いたくて逢いたくて」・・城南海
「花と竜」・・・・・・鳥羽一郎
「酔中花」・・・・・・坂本冬美
「初めての今日を」・・由紀さおり
「川の流れのように」・・市川由紀乃&坂本冬美
「孫」・・・・・・・・鳥羽一郎
「夫婦みち」・・・・・市川由紀乃
「心凍らせて」・・・・こおり健太
「小樽運河」・・・・・川中美幸
「ハナミズキ」・・・・クリス・ハート
「会いたい」・・・・・城南海
「風の盆恋唄」・・・・市川由紀乃
「箱根八里の半次郎」・徳永ゆうき
「夜桜お七」・・・・・坂本冬美
「ガッツだぜ」・・・・鳥羽&こおり&徳永&クリス
「恋するフォーチュンクッキー」・・女性出演者
「二輪草」・・・・・・川中美幸
「カサブランカ・グッバイ」・・鳥羽一郎
「涙そうそう」・・・・夏川りみ
「あなたにとって」・・由紀さおり
今回もあんまり新鮮味のないメンバーだな・・と思ったら、クリス・ハートはだいぶご無沙汰の出演か。知らなかったけどしばらく活動休止していたんですね。元気でなにより。
まあ新鮮味がないといっても、今回は川中美幸や鳥羽一郎など、個人的に「国宝級」だと思ってる人たちが出演してくれてて満足。川中はこおり健太と「昭和枯れすすき」をやってくれましたが、存在感が違いすぎてこおり健太はかすんじゃった印象。こおりも決して悪くはなかったけど・・相手が偉大すぎた。鳥羽一郎の「孫」はさすがのカッコよさで感激。なにを歌ってもひたすら漢らしくカッコよくなっちゃうのはある意味ずるい。
で、今回は「平成歌謡ヒット曲集」というテーマでした。「平成」の約三十年ちょい、経済的には日本が徹底的に落ちぶれた「失われた」時代でしたね。それは自民党のせいであることは間違いないんですけどここではとりあえず置いておくとして、歌謡界も(とくに平成後半は)どんどんつまらなくなった時代と言えますね。
しかし今回やってくれた「夫婦みち」とか「心凍らせて」とかを聴くと、少なくとも平成初頭においてはスゴイ曲がいっぱいあったんだな~と。「心凍らせて」なんかは聴きなおすたびに文句のつけようのないあまりに完璧な曲だと再認識する。こんな曲がゾロゾロあったんだから「CDが売れた時代」というのも納得。
平成後半から令和にかけて、演歌・歌謡曲はますます冷遇され、薄っぺらい曲ばかりがもてはやされるように。日本経済が沈んでいくのは自民党を政権から引きずりおろせばなにか変わるかもしれないけど、歌謡界のほうはこれからどうなっていくのかな。